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『インドの精神――仏教とヒンズー教』【在庫切れ】
池田大作 ベッド・P・ナンダ
2005年5月
平和のために宗教は今、何ができるのか? 「動乱の世に、人間が人間として人間らしく、共に平和に幸福に生きゆく希望の道を示しゆくことこそ、宗教の本来の使命であった」(「はじめに」から)と考える創立者が、ヒンズー教徒であり、平和活動家である世界法律者協会・ナンダ名誉会長と語る。
仏教、ヒンズー教にこめられた人間主義を探るとともに、人権思想や国際法に実効性をもたせるための挑戦を紹介。平和への道を「根源的に考え」「現実的に提言」した対話集。
内容
はじめに 池田大作
わが敬愛してやまぬベッド・ナンダ教授は、インドの悠遠なる精神性を、ガンジスの流れの如く湛えた指導者である。
ナンダ家は、インド北部のカシミールにおいて、首相などを送り出した名門のご一家である。
ナンダ教授の「ナンダ」という御名前は、「アーナンダ」に由来すると、うかがった。
インドの王族で「アーナンダ」といえば、釈尊の最も近くに仕えた愛弟子が思い出される。
「人類の教師」釈尊の一門のなかで、その教えを誰よりも多く直接に聞き、「多聞第一」と謳われた弟子が、阿難(アーナンダ)であった。真摯に学び続け、道を求め抜く誠実な知性の象徴といってよい。
それは、釈尊を嫉む悪逆の徒が狂暴な象を放って、この師弟の一行に襲いかかってきた時のことである。釈尊の周りにいた弟子たちは、とっさの事態にあわてて、みな、一目算に逃げ散ってしまった。
しかし、ただ一人、釈尊の側から一歩も離れず、厳然と師匠を護りきった勇者がいた。その人こそ、阿難(アーナンダ)であったと伝えられている。正義の信念に徹しゆく人格ほど、強く尊いものはない。
この阿難(アーナンダ)にも通ずる、誠実な知性と信念の人格を体現されている大教育者が、
ナンダ教授その人なのである。
ナンダ教授は、インドの北西部、現在のパキスタン領の出身である。大きな人生の転機は、1947年、教授が12歳の時に訪れた。
長年の悲願であったインドの独立が実現したのもつかのま、民衆の喜びは悲劇へと変わってしまった。イスラム教徒を主体とするパキスタンと、ヒンズー教徒を主体とするインド連邦の分離である。パキスタン地域のヒンズー教徒はインド領土へ、そして、インドのイスラム教徒はパキスタン領土へと、大移動が始まった。放火や略奪、殺し合い。狂気が町を覆い、地獄の惨劇が繰り広げられた。
教授のご一家も、「ヒンズー教徒である」という理由だけで故郷を追われた。
なぜ、生まれ育った土地を去らなければならないのか? なぜ、今まで仲良く暮らしていた隣人が、殺し合わねばならないのか? ナンダ教授は「当時も、そして今も、この不条理を理解できない」と語っておられた。
しかし教授は、そうした御自身の苦しみと悲しみを、人類の平和と幸福のために献身しゆく、不屈の行動へと転換された。
「宗教は本来、人問の善性を開発し、人と人をつなぐ力となるべきだ。その宗教の違いを理由にして、人間が差別され、迫害されることは絶対にあってはならない」
これが、教授の誓いであり、変わらぬ信念である。
教授は、インドのデリー大学での修学を終えた後、アメリカに渡り、ノースウエスタン大学、エール大学に学ばれた。学術・教育の道を進まれ、デンバー大学で、国際交流担当の副学長を務めておられる。
とともに、世界法律家協会の会長等の要職を歴任されるなど、世界的な国際法学者として縦横無尽に活躍されている。さらにまた、人権と平和を守る、世界的な〝草の根〟のNGO(非政府組織)運動にも積極的に関わってこられた。国際司法裁判所に、核兵器の使用・威嚇行為の違法性の判断を求めた「世界法廷プロジェクト」も、その一つである。
今日の世界において「暴力と憎悪」の連鎖は跡を絶たない。頻発する紛争やテロ、人権の抑圧や貧富の差の拡大、あるいは地球環境の破壊等々が、多くの人々の命を脅かしている。
とりわけ、いつの時代にあっても、犠牲となるのは、社会的に弱い立場にある庶民であり、何の罪もない子どもたちである。
ナンダ教授は、そうした苦悩にあえぐ現代を「希望を求める死闘の時代」と表現された。
その本質は、2千数百年前、かの釈尊が直視した光景と変わらない。
「あたかも水の干上がっていく池にいる魚が、生きんがためにぶつかり合っているように、人々も生きんがために、対立し衝突し合っている」
まさしく、そうした動乱の世に、人間が人間として人間らしく、共に平和に幸福に生きゆく希望の道を示しゆくことこそ、宗教の本来の使命であったといってよい。
いま、地球的問題群解決のために、宗教は、いかなる貢献ができるのか?
ナンダ教授と御一緒に私は、仏教やヒンズー教などを生んだ「インドの精神」から、人類の恒久的な「平和」と「幸福」を創造しゆく英知を汲み取り、より多くの人々と分かち合いたいと願い、この対談に取り組んだ。
この対談を通して、私たちは「インドの精神」の特質をなし、仏教とヒンズー教に通底する多くの共通点を、改めて確認し、互いに学び合うことができたと確信している。
それは、「非暴力と慈悲の精神」であり、「宇宙と人間を貫くダルマ(法)」である。さらに
「人間と自然の共生の思想」「他者への寛容性」等々、いずれも平和な地球市民社会の創造のため、絶対に不可欠な思想であり、哲学である。
そして、この精神的遺産を基調として、「教育」「人権」「環境」「国連」「国際法」といった、さまざまな分野における喫緊の課題を論じ合い、人類の直面する難題を打開する方途を探索した。その試みの軌跡が本書である。
本書では、地球的な問題群の解決のために地道に取り組むNGOの活動など、平和と共生の21世紀を開く、新たな時代の「主人公」にも光を当てている。『法華経』に登場する菩薩たちの姿を彷彿させる、社会貢献の民衆たちの行動こそ、来るべき地球市民社会の亀鑑であるからだ。
偉大なる「インドの精神」を体現したマハトマ・ガンジーは語っている。
「真の道徳は、踏みしめられた道を行くことではなく、自分のために真の道を探し出し、勇敢に進んで行くことにある」(K・クリパラーニー編『抵抗するな・屈服するな――ガンジー語録』古賀勝郎訳、朝日新聞社)
本書は、「東洋学術研究」誌に連載した内容に加筆するとともに、新たな章節を加えて、一冊にまとめたものである。激務のなか、全力で対談に取り組んでくださったナンダ教授に、改めて心からの感謝を捧げたい。教授との出会いは、わが人生のかけがえのない宝であり、二人の友情の結晶として本書を残せることを、私は何よりも誇りと思う。
「ナンダ」という御名前には、「歓喜」という意義が込められている。
ナンダ教授と最初にお会いした時、共に耳を傾けた曲が、創価大学生が奏でるベートーヴェンの「歓喜の歌」であったことを、私は懐かしく思い起こす。
「苦悩を突き抜けて、歓喜に至れ!」
人類の歓喜あふれる未来を勝ち開くために、私たちの対話が、勇敢に行動しゆく若き英知の方々にとって何らかの希望の道標となれば、これほどうれしいことはない。
2005年 如月
序 ベッド・P・ナンダ
この対談の発端となったのは1994年12月の日本への旅であった。
このとき、私は創価大学を訪問し、光栄にも池田大作博士と長時間、懇談する機会をもつことができた。
そして池田博士夫妻とともに、創価大学と創価女子短期大学の学生によるベートーヴェンの第九交響曲の素晴らしい演奏を堪能させていただいた。日本を訪問するのはそれが初めてではなかったが、このとき、私は日本を新たな目で見るようになっている自分に気づいた。
私の友人であり同僚でもあるマリア・グアハルド博士(現在はグアハルド・ルセロの姓になっている)は、SGI(創価学会インタナショナル)の長年のメンバーであり、このときの旅に同行してくれた。東京へ向かう空の旅の途上、私たちは機内で懇談したが、池田SGI会長とSGIに対する彼女の心からの評価と敬意は、私たちの会話に生き生きとした光彩を与えるものであった。
熱心に語る彼女からさまざまな話を前もって聞かされていたわけだが、この訪日は、私の期待をはるかにこえるものとなった。池田会長という人物の温かさ、ビジョン、そして叡智は、直接に会って話してみなければ、けっして十分にその素晴らしさを理解できるものではない。私の予想もしないほどのものであった。
そのおりは、かなり長時間、懇談させていただいたが、後で池田会長の目の回るようなスケジュールを知って、それがどれほど貴重な機会であったか、初めてよくわかった。人をひきつけてやまないSGIのリーダーは、私に忘れえぬ印象を残した。
それ以後、私たちの交流は深まっていった。デンバー大学は池田会長に、氏が世界から数多く受けてこられた名誉学位の一つを授章させていただいたし、学内でSGIによる環境展も開催させていただいた。私のほうも、光栄にも創価大学を再訪し、さらに関西と東京にある創価学園を再度、訪問させていただいた。また、セミナーや会議等で講演も行い、学生や組織のリーダーの方々と懇談し、池田会長とはさまざまなテーマについて語り合った。
池田会長と対話し、会長の著作を読むなかで私は、異なる見解に対する会長のオープンな態度に驚いたものである。そして、対話にかける会長の深い思い、また人権、人間の幸福、軍縮、宗教間・異文化間の対話、そして「平和の文化の創造」に向けて私たち一人ひとりができる貢献といった、私自身も最重要課題であると思う価値に対して、会長がいかに情熱を傾けて取り組んでおられるかを知って、私は驚愕の念を禁じえないのである。
池田会長の含蓄深い著作を読めば読むほど、会長が、人生と使命の必然的な中心点である仏教のみならず、他の宗教および文化に対しても、全体を大きく見渡しながら、超越的なアプローチをされ、深遠なる理解をしておられることに、感銘が強まるばかりである。とくに、ヒンズー教について、またマハトマ・ガンジーの非暴力・市民的不服従運動によって形成された近代インドにおけるヒンズー教の地位について、深く理解しておられることを、私は高く評価している。同時に会長は、ヴィヴェーカーナンダやラーマナ・マハーリシ、オーロビンドゥ・ゴーシュといった近代インドの精神的・知的指導者の人生と著作についても精通しておられる。
ヒンズー教徒として生まれ、生涯その道を生きてきた私は、会長との対話を進めるなかで、この対談が読者のなかに引き起こそうとしている思索のプロセスに、私自身が引き込まれていった。そして、わが人生におけるヒンズー教のもつ意味を、新たに問い直さずにいられなかったのである。
この対話は、きわめて楽しいばかりではなく、私自身を向上させてくれる経験であった。時と距離をこえてのテープ録音による対話も、テクノロジーの重要さという要素を加えてくれた。平和研究機関「ボストン21世紀センター」代表の横田政夫氏がテープ録音の労を取ってくれ、海を隔てた両側でSGIのスタッフの方々が、池田会長と私のやり取りを進めるうえで見事な役割を果たしてくれた。
対談を進めるなかで、私のほうは多忙なスケジュールに忙殺され、関係者には締め切りの延長をお願いせざるをえないことが続いてしまったのだが、池田会長が自らに課した仕事をなし遂げる能力には、いつも驚嘆したものである。
ご自身の芸術的・詩的著作は言うまでもなく、アメリカと日本の両国にある大学、そして複数の高校や研究所、著述、また多くの政治家や宗教的・精神的指導者、文学者、世界的知性との直接のふれ合いを通して自らが信奉する価値を広めゆくという、会長が担われている多大なお仕事を考えるとき、それらを会長がいかにしてなし遂げてこられたかは、私にはとうてい理解できるものではない。
そしてSGIを通して日蓮仏法の生き方を体得してきた何百万もの学究や弟子の方々が、献身的な取り組みによって、この先見的な思想の実用性を世界中で証明しているのである。
「相互尊重」と「平和な世界への希求」に基づいて未来へと向かう、この偉大な事業に、ささやかながら参加する機会を得られたことを、私は大変、幸運に思っている。
2005年2月 デンバーにて
目次
- 序章 「戦争の世紀」を生きて
- 人類の安全保障
- 出会い
- 人生の思い出
- 心に残る恩師
- 感銘を受けた人物
- 第1章 人類の平和・文化揺藍の地
- 世界最古の文明
- ヒンズー教の中心的概念
- 「縁起」論が意味するもの
- 多彩な文化を生んだ土壌
- 古代インドの高等教育機関
- 「内面的学問」の発達
- 天文学と数学の発達
- 医学「命の知識」
- 多元性こそインド文化の功績
- 平和――人間性の開花
- 第2章「宗教的生き方」とは①――ヒンズー教の視点から
- 中世以降のインド
- 人類最古層のヴェーダ聖典
- 神々と礼拝の形態
- 日常生活と一体の信仰
- 「人生の目的」を説く
- 四大目的の意義
- 人生の四期――貪欲から離れる過程
- 「社会の倫理性」を高める計画
- 「精神革命」の世界的連帯を
- 第3章「宗教的生き方」とは②――仏教の視点から
- 社会の病理に挑む日蓮仏法
- 慈悲の実践に生きたブッダ
- 「カルマ(業)」の思想
- 「心を磨く」ライフ・スタイル
- 「菩薩道」を現実化するために
- 日本の宗教事情
- 第4章 未来を開く「人間教育」
- 理想を追求する大学
- 教育者の資質
- アメリカ創価大学
- 「文明間の対話」へ教育で貢献
- 「智慧の人」「勇気の人」「慈悲の人」
- 精神的価値の復権
- 第5章 自他ともに輝く「人権の世紀」
- 「民衆と民衆」を結ぶ交流
- 宗教が人権に果たす役割
- 政治と宗教のあり方
- 世界人権宣言と国連のリーダーシップ
- 国家主権から人間主権へ――人権運動の発展
- 貧困撲滅――人権享受の絶対条件
- 欲望のコントロール
- 第6章 「地球社会」創出への挑戦
- 主権国家体制と近代国際法
- 「人類益」「人類主権」へ発想の転換
- 新時代の潮流つくったNGO
- 権力と真正面から向き合う仏教者
- 核兵器の違法性――「世界法廷プロジェクト」
- 戸田城聖の原水爆禁止宣言
- NGOに求められる高い倫理性
- ソフト・パワーとしての国連の役割
- 「人間の安全保障」へのアプローチ
- 「対応の文化」から「予防の文化」へ
- 「文明間対話」は未来への責任
- 仏教が説く「慈悲に基づく対話」
ベッド・P・ナンダ
世界法律家協会名誉会長 (元会長)。米・デンバー大学の教授、副学長、同法科大学院国際法研究プログラム部長。1934年、インド・グジランワラ(現在はパキスタン)生まれ。12歳のとき、インド独立に伴う混乱で故郷からインドヘと苦難の移動を強いられる。パンジャブ大学、デリー大学、米のノースウエスタン大学、エール大学で学ぶ。国際刑事裁判所設立プロジェクトの顧問を務めたほか、核兵器の使用や威嚇の違法性の是非を問う「世界法廷プロジェクト」等を推進した。アメリカ国際法協会顧問(元名誉副会長)、アメリカ人権学会諮問委員、国連協会世界連盟評議会副議長。著作は『多国籍企業の商取引法』『合衆国法廷における国際紛争の訴訟』『核兵器と世界法廷』『ヒンズー法とその法理論』『国際環境法とその政策』等多数。国連協会人権賞、反名誉毀損同盟公民権賞、世界法学者賞等を受賞している。