『東洋の智慧を語る』

『東洋の智慧を語る』

池田大作 季羨林 蒋忠新

2002年10月 東洋哲学研究所刊

中国文明の「天人合一」、法華経の「統合的精神」――これらは現代にどんな価値を発揮できるのか? 現代中国を代表する知性であり、「国学大師」と尊敬される季羨林氏(北京大学終身教授)、「法華経」写本研究の第一人者・蒋忠新氏(中国社会科学院教授)との「文明てい談」。日中国交正常化30周年記念出版である。

内容

まえがき 池田大作

序    季羨林

目次

略歴   季羨林 蒋忠新


【トピックス】

「中国語版」を発刊 簡体字版と繁体字版

創立者が、季羨林博士の人生をつづる


まえがき 池田大作

「戦争と暴力の世紀」から「平和と共生の世紀」へと変革しゆくために、「東洋の智慧」はいかなる使命を担うことができるのか――この人類史的課題をめぐって、現代中国を代表する二人の知性と、7年有余にわたり語り合いました。その時期は、ちょうど、「激動の20世紀」をこえて、新たなる「ミレニアム」の開幕と重なっておりました。


西洋近代に発する科学技術を駆動力とする現代文明は、人類に物質的豊かさ、利便さをもたらし、通信、情報、交通機関の発達とともに、地球を一体化しつつあります。それとともに、市場経済化の波が世界的な広がりをみせております。

しかし、現在、進行しつつあるグローバリゼーションのプラスの側面の裏には、深い「闇」がひそんでいます。

地球環境問題、核拡散、貧富の差の拡大、難民の急増、民族・宗教・文化のかかわる紛争等、人類の「闇」はますます深まっていく感を禁じえません。21世紀第1年の秋の「9・11」のテロは、その象徴と言ってよいでありましょう。

人類史の「闇」には、憎しみが憎しみを生み、報復が新たな報復を招く「憎悪」の連鎖が、幾重にもつらなっております。「憎悪」や「破壊」は、「分断」のエネルギーであります。それは、人と人の心を裂き、民族と民族を引き離し、宗教と宗教を対立させ、人間と自然を分断しております。

人類の絶滅さえも引きおこしかねない現代文明の危機の最大の元凶は、人間の心に巣くう「分断」のエネルギーであると言っても、けっして過言ではありません。


これに対し、「慈悲」や「創造」の心は「結合」のエネルギーであります。それは、人と人、民族と民族をつなぎ、人間と自然を融合し、共生へと導いていきます。人間生命に内在する「結合」のエネルギーの連帯をもって、「分断」のエネルギーをコントロールしゆくことこそ、「戦争」から「平和」への「基本軸」でありましょう。

東洋文明の悠久の歴史には、人間生命に内在する「善性――結合のエネルギー」の洞察と開発の「叡智」が、ダイヤモンドのごとくきらめいております。この生命の「宝」をともに開発し、現代の知性で磨きゆく碩学として、私は、季羨林先生、蒋忠新先生のお二人と出会うことができました。


思えば、現代文明の行き詰まりを鋭敏に察知し、「西欧中心史観」に異議申し立てをしたのは、20世紀を代表するイギリスの歴史家トインビー博士でありました。西洋文明一元論に対抗し、インド文明、中国文明をも包括する人類史的視野に立って、幾多の文明の誕生、発展、衰亡をダイナミックに描き出したのであります。

私は、東洋文明、とりわけ大乗仏教の実践者として、30年前、トインビー博士との対談に取り組みました。東洋の叡智に深いまなざしを向けられていた博士が、「未来の世界統合の機軸」として注目していたのが、中国でありました。

現代中国を代表する世界的知性の季羨林先生は、「生涯現役」で、56年の長きにわたって、北京大学教授を続けられ、副学長も歴任されております。

季先生は、20世紀のインド学・仏教学の最高峰の、国際的に著名な学者であられます。東方学の開拓者であり、まさしく東洋の智慧を体現してこられました。中国学術界のリーダー的存在であり、中国敦煌トルファン学会会長等の多くの学術分野の指導的な重責をになわれております。

また、大変に格調の高い流麗な文体で、膨大な散文を書いておられる中国当代一流の文筆家でもあり、「国学大師」としても広く深く尊敬を受けております。

さらに、さまざまな国家の要職を歴任され、国家人民と人類のために大きな貢献をなされてきました。

季羨林先生と私との最初の出会いは、1978年9月の第4次訪中のおり、北京大学を訪問し、2回目の図書贈呈をさせていただいた時でした。その時、受け入れてくださった大学側の中心者が、当時、副学長の季羨林先生でした。10年におよぶ文化大革命の苦難を乗りこえられた先生の尊容は、北京秋天のごとく晴れやかでした。

そして、もうお一方のてい談者である蒋忠新先生は、中国社会科学院アジア太平洋研究所の研究員(教授)であり、法華経写本研究の世界的な第一人者であられます。


この「てい談」の直接のきっかけをつくってくださったのは、卞立強先生(創価大学客員教授)でした。当時、北京大学東方語言文学学部日本学科の教授であった卞先生は、季羨林先生の教え子であり、私の著書を中国語に多数翻訳され、季先生に紹介してくださっておりました。季先生と卞先生の語らいのなかで、私との対談のアイディアが生まれたとうかがっております。

仲介の労をとってくださった卞先生に、厚く御礼申しあげます。

当初は、季羨林先生との対談形式で準備が進んでおりましたが、「東洋の智慧」としての仏教、なかんずく『法華経』に言及するとなれば、季先生の教え子であり、とくに『法華経』研究において格別に深い学識をもたれている蒋忠新先生にも加わっていただきたいと考え、三者による「てい談」を提案いたしました。私の考えに、季先生も全面的に賛同してくださいました。


私たち三人は、東洋思想の悠久の歴史のなかに、人間、民族、宗教、文化を結びゆく「統合」「共存」の智慧を求めて、対話を重ねてまいりました。

三者による往復書簡をとおし、探究し合った成果は、東洋哲学研究所発行の学術誌「東洋学術研究」に4回(通巻第145~148号〔2000年11月~2002年6月〕)にわたり掲載されました。このたび、単行本として上梓するにあたり、「序章」を加え、加筆を施しました。

本書は、まず、90歳をこえられた季羨林先生の波瀾の人生、ならびに師弟の道を貫かれる蒋忠新先生の生き方を主軸に始まっております(序章)。

そして、季羨林先生の仏教学、言語学における世界的な業績をとおして、「釈尊の使った言葉」や、仏教の「平等の精神」を解明していきました(第1章)。

次に、大乗仏教の編纂の時代から続く「大乗非仏説」論への批判をとおして、「『法華経』の起源」(第2章)に焦点を当てております。また、『法華経』がインド・中国・日本へと流布してきた足跡をたどって、日蓮大聖人の仏法に及びました(第3章)。そして、今日、創価学会の歴史のなかに「法華思想」の現代的な展開がなされていることを語っております(第4章)。

ここで、人間の善性の開発のために、中国哲学史に視野を転じ、「性善説」「性悪説」を取りあげて、「人間の本性」について考察しました(第5章)。

さらに、東洋と西洋の文化の特質を比較し(第6章)、東洋文化の精髄をなす「天人合一思想」や「依正不二」論について論究し合いました(第7章)。

最後に、21世紀の人類の未来をひらくにあたっての、中国の果たす役割や、「東洋の智慧」の貢献について、具体的に意見を出し合っております(第8章)。


このような語らいをとおして、東洋思想に内包されていた「結合のエネルギー」を開発する叡智が次々と洞察され、そこに現代的な知性の光が当てられていったのであります。

『法華経』の統合的精神である「一念三千」論、中国思想の精髄としての「天人合一」の思想、インド哲学の究極である「梵我一如」の思想――これらは、まさに、分断と分裂を重ねる現代文明の「闇」を照らしゆく、珠玉のごとき「東洋の智慧」の結晶であります。

私は、てい談者の一人として、東洋の叡智が、万物の共生、共存を志向する「平和と希望の世紀」に、その雄姿を見せゆくであろう「人類文明」の導きの〝光〟となることを希求しております。

季先生も言及されているように、人類が待望する未来は、仏教で「仏国土」と表現し、また、儒教では「大同の世界」として描いてきた世界であります。


本年は、日中国交正常化30周年の佳節にあたります。周恩来総理は、誰よりも深く、強く、日中の友好を願っておられました。私は、日中の学術・文化交流の一つの成果として、本書がこの記念すべき時に出版されることを、周総理も喜んでくださっているに違いないと、確信しております。

両先生が、人類の平和と繁栄、そして日中友好の増進のため、さらにご健勝で活躍されますことを、お祈り申しあげます。


2002年8月24日


序  季羨林

池田大作先生は、国際的に著名な日本の社会活動家、宗教活動家、国際活動家であります。氏はこれまで国際的に名だたる学者や政治家、たとえばイギリスの歴史学者A・トインビー、アメリカのH・A・キッシンジャー等と対談を繰り広げてこられた。対談の内容は、中国語、日本語、英語などで出版され、国際的に好ましい影響を及ぼしてきました。これらの対談集は、人民と人民との間の理解と友情をうながし、当今の国際的な基調をなす平和と発展に大きく貢献してきました。

池田大作先生は、中国とは格別の関係があると言えます。氏は10回にわたって訪中し、中国の学者や宗教界の人々と広く交流をもってこられた。氏は北京大学の名誉教授であり、また、他の大学でも名誉教授の称号を授与されています。また、氏の尽力により、中国の大学へ図書や機器が寄贈されました。氏は中国人民大衆に喜んで迎え入れられている人物であります。

このたび、池田大作先生は、中国の学者と「てい談」するはこびとなりました。私も「ならび大名」に甘んじ、末座に陪席させていただく栄誉に浴しました。氏と蒋忠新氏との対話は、主に『法華経』に関する内容でありました。蒋氏は、数十年にわたって『妙法蓮華経』のオリジナル梵文の研究を積み重ねてこられましたが、なかでも、中国旅順博物館所蔵の新疆の『法華経』梵文オリジナル断簡の研究については、とくに力を入れ、数多くの新しい発見をみています。

『法華経』は、創価学会にとって根本とすべき中心経典であります。池田大作先生もこの経典に関してはたいへん造詣が深い。ゆえに、両専門家の『法華経』をめぐる対話は、縦横無尽で、ひときわ精彩なものとなりました。とぎすまされ、含蓄に富む言葉がまるで万斛の泉源のようにとめどなく、いたるところにわき出し、人々の視界を広げ、人々の悟性を啓発してくれます。このような対話にふれることは、まさに最高の享受でありましょう。


私自身と池田大作先生との対話は、東洋文化と西洋文化との同一性と差異性にその重点が置かれました。私は哲学者でもなく、ましてや思想家ではありません。私は哲学的な分析は不得意であるし、哲学的分析というのもあまり好きではありません。西洋の一部哲学者のあの微に入り細をうがつような分析は、敬服をこえて、驚異を感じるほどです。それは、私には理解しがたく、どこまで行ってとどまるのかわからないようにも感じられます。私は、素朴で飾り気のない人間であり、手ごたえのある具体的なものを好み、漠然とした、摩詞不思議なものには興味がありません。

しかし、私にも少しばかり長所があります。それは、頭を休ませないということです。私は禅学については少しかじっただけですが、私の思考方式は禅宗にやや近いようです。私は、最大限のマクロ的観察のもとで、子細に東西文化の発展や変遷の軌跡を思索していましたが、ほとんど瞬時のひらめきのようにして、東洋文化の復興を悟りました。すでに十数年前から、私は、東西文化には根本的な相違、すなわち、東洋は総合、西洋は分析という相違があり、「天人合一」の思想は東洋文化の特徴であることを提起してきました。

そして、「天人合一」という中国哲学史上有名な命題に新たな解釈を与えました。それはすなわち、「天人合一」とは、大自然と人間との「合一」を指すというものでした。さらに、東西文化は、歴史上相互に交替しながら盛衰していくという見解をも提起しました。私は中国でよく使われる「三十年河西、三十年河東」という言葉を用いて、この見解を表現しました。


私がこの見解を提起した時、読者の間では賛成派と反対派の二派に分かれました。これはきわめて正常な現象であります。古今東西、賛成者しかいないという考え方は皆無であります。賛成者について、私は当然のことながらうれしいが、反対者についても、不機嫌になるということはないのです。私は論争しないし、反論もしません。私は「真理は議論を重ねるほど明らかになる」ということは信じていないのです。中国の春秋戦国時代、百家が争鳴し、議論は熾烈をきわめました。しかし、どの思想家も論争に敗れたことによって自分の主張を放棄することはなかったのです。

私は、皆で一緒に『三岔口(さんちゃこう)』(訳者注――京劇の演目。相手を殺そうと思って格闘する二人が実は不正を憎む同志であったことが最後にわかり、誤解がとける物語)を演じることを主張するものです。あなたは、あなたの主張をし、私は、私の主張をする。最終的には観衆自身に是非を判断してもらえばよいのです。

最近、私は『文明と経済の衝突』(第二海援隊、中国語訳書題『東西文明沈思録』)という書物を読みました。原作者は日本の有名な学者である歴史家の村山節氏と日本の経済評論家で作家の浅井隆氏です。また、訳者は中国国際ラジオ局日本語部の夏文達等の諸氏です。出版年月は2000年4月、出版社は中国国際広播出版社です。

出版社は、次のように、簡潔かつ的確に本書を紹介しております。「作者は、時空を超越した大きな視野に立って、世界文明発展の歴史やグローバル経済の現状について研究し、さまざまな文明には、誕生、生長、繁栄および消滅の過程があることを指摘しています。東西文明間には衝突があるとともに、相互補完性があるのです。文明の衝突は文明の中心の推移に表れます。作者は、世界の歴史は、文明の中心で勝手気ままに起伏する盛衰の連続のなかで、たえず上演されるものであると考える」と。

続けて、出版社は、村山節氏が提起する「世界文明800年周期説」を紹介し、「現在、世界文明の中心はまさに東洋へ向かって推移しつつある。21世紀は東西文明の衝突、融合、および交替の時代である。22世紀以降は、アジアの時代になるであろう」と。

さらに本書の浅井隆氏の「序言」注〔6〕の中で、作者は「東西文化のもっとも根本的な相違は、思考方式の違いにある。東洋の思考方式、東洋文化の特徴は『総合』であり、西洋の思考方式、西洋文化の特徴は『分析』である。哲学者の言葉を借りれば、西洋は一を二に分け、東洋は二を合わせて一とするのである」(本書中国語版)と述べています。


もし、私が本書に自分を重ね合わせることをお許し願えるならば、これはまさに私の主張そのものであります。私のこの主張は、過去7、8年にわたって、多くの論文や発言、さらには厳粛で盛大な国際会議の中で、公開し、発表してきたものです。本書の中にもふれられているとおりであります。

世界文化の中心が東洋に向かって推移するのに、どのくらいの時間を要するかという問題について、今世紀にはその兆しが現れるであろうというのが私の考えです。『文明と経済の衝突』の作者の予言によれば、それは22世紀であると言います。この問題については、論争しようがないので、歴史にその結論をゆだねることにしました。


現在、世界のある大国は、右手に警棒を持ち、左手に原子爆弾をのせ、他の国を「悪の枢軸国」などと指摘して責めているのです。天下唯我独尊であります。平和を愛する世界市民には、それはまるで道化役者のようにうつっているのです。

ここで私は東西のことわざをそれぞれ一句ずつ、つつしんでこの国の人民におくります。中国の古い言葉「多くの不義を行えば必ず自ら斃(たお)る」(多くの不正を行えば必ず自滅する)、そして、西洋のことわざ「神が誰かを滅ぼそうとすれば、必ず先にその誰かを狂わせる」です。これらは、長年にわたる経験にもとづく結論であり、絶対に間違いないものであります。

先の言葉は意味もなく発したわけではけっしてないのです。これらは東西文化の盛衰と関係があるからこそ、思わず心が高ぶって発したわけであります。私は、その大国の中でも、真に国を愛し、平和を愛する人民は、それらの言葉に反発を感じることはないであろうと信じています。世界中どの国であれ、国を愛し、平和を愛する人民の心と心は、つねに相通じているものです。


振り返って再びわれわれの「てい談」を読むと、三人の作者のうち、一人は日本人、二人は中国人です。国籍は異なるが、志は同じであります。われわれはともに世界人民が平和、幸福で、そこには理解と友情だけがあり、憎しみや対立がないことを願っています。仏教では「浄土」と説き、儒教では「大同の世界」と説いております。それぞれ名異実同で、手段は異なっても目的は同じなのです。私は、われわれのこの一書がその分野で貢献してくれるであろうことを祈っております。善哉! 善哉!


2002年6月7日


目次

  • 序章 近・現代史を生きる
    1. 未来をひらく対話
    2. 生い立ち
    3. 苦節のドイツ留学時代
    4. 波乱万丈
    5. 恩師の存在
    6. 文章の力
    7. 中印学の柱
    8. 自然観、宇宙観
    9. 青年へのメッセージ
    10. 周恩来総理
    11. 学術交流
  • 第1章 釈尊の使った言葉
    1. 季羨林博士の業績
    2. 民衆の言葉で語る
    3. 仏教教団の存在意義
    4. マガダ語と半マガダ語
  • 第2章 『法華経』の起源――「大乗非仏説」論批判
    1. 『法華経』に使われている言語
    2. 「大乗非仏説」論
    3. 小乗経典と大乗経典の源流
    4. 口承の経典化
    5. 『法華経』の思想的価値
  • 第3章 『法華経』の流布――インド・中国・日本
    1. 「経中の王」の根拠を示す
    2. インドから西域、中国へ
    3. 中国への伝来
    4. 鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』
    5. 天台大師の登場
    6. 民間の『法華経』信仰
    7. 日本における受容
    8. 日蓮大聖人と『法華経』
  • 第4章 法華思想の展開と展望
    1. 牧口初代会長と創価学会
    2. 戸田第2代会長の「悟達体験」
    3. 池田第3代会長の足跡
    4. 仏教学への学術貢献
  • 第5章 人間の本性と社会
    1. 「性善説」「性悪説」
    2. 仏教の「縁起思想」
    3. 儒教の〝仁愛〟と仏教の〝慈悲〟
    4. 人生と社会
    5. 自然と人間
    6. 東洋と西洋の自然観
  • 第6章 東洋文化と西洋文化
    1. 文化の定義と2つの文化発祥説
    2. 一元発祥説と多元発祥説
    3. 東西2大文化体系の相違点
    4. 〝分析的思考〟の特徴
    5. 〝総合的思考〟の特徴
    6. 社会の発展と文化交流
  • 第7章 東洋文化の精髄――「天人合一」と「依正不二」
    1. 世界平和と中国の役割
    2. 中国文明の精神遺産
    3. 「天人合一」論
    4. 儒家思想にみる「天人合一」論
    5. 仏教と「天人相関」説
    6. 道家、墨家、雑家の自然観
    7. 古代インドの「梵我」説
    8. 仏教の「依正不二」論
    9. 天台の「一念三千」論
    10. 韓・朝鮮半島の「天人合一」思想
    11. 一神教の自然観
  • 第8章 21世紀と人類の未来
    1. 『法華経』の統合的精神
    2. 「三十年河西、三十年河東」
    3. 平和と発展
    4. 「死への行進」阻む「共生の感覚」
    5. 「科学主義」の蔓延
    6. 西洋の思考に変化の兆し
    7. 「光は東方より」
    8. 間断なき「精神闘争」
    9. 「大同」思想と「価値創造」

季羨林

1911年、中国山東省清平県(現在の臨清市)生まれ。1934年、清華大学を卒業。1935年、ドイツに留学、1936年から45年までゲッティンゲン大学でインド古代言語及びトカラ語を学ぶ。1941年、同大学で哲学博士の学位を取得。1946年、帰国し、北京大学東方語言文学学部教授兼学部長となる。北京大学副学長、中国科学院哲学社会科学学部委員、中国人民政治協商会議全国委員会委員、中華人民共和国全国人民代表常務委員会委員、中国語言学会会長、中国比較文学学会会長等を歴任。現在は、中国敦煌トルファン学会会長等を務める。

主な著作に『インド古代言語論文集』『原始仏教の言語問題』『中印文化関係史論文集』『季羨林仏教学術論文集』『中国文化と東方文化』『トカラ語研究』『トカラ語「弥勒会見記」訳注』『糖史』『大唐西域記校注』(主編)がある。翻訳として『ラーマーヤナ』『シャクンタラー』等。散文の著作として『季羨林散文集』『ドイツ留学十年』等がある。

蒋忠新

1942年、中国上海生まれ。1965年、北京大学東方語言文学学部を卒業し、中国社会科学院歴史研究所研究実習員となる。1979年、中国社会科学院・北京大学南アジア研究所助理研究員となる。1986年、中国社会科学院アジア太平洋研究所副研究員、1991年から同研究所の正研究員(教授)となる。

主な著作に、『民族文化宮図書館所蔵梵文写本之一・妙法蓮華経(写真版)』『民族文化宮図書館所蔵梵文「妙法蓮華経」写本(ローマ字転写本)』『マヌ法典訳注』『大唐西域記校注』(共著)『大唐西域記現代語訳』(共著)『旅順博物館所蔵梵文法華経断簡(写真版及びローマ字版)』がある。1990年、中華人民共和国人事部より、「際立った貢献をした壮年及び青年専門家の証書」を授与される。2002年、逝去。

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