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『世界市民 池田大作――識者が語る 平和行動と哲学』
東洋哲学研究所編 第三文明社刊
2008年9月発刊
1,333円(税込1,440円)
ISBN 978-4-476-06206-9
東洋哲学研究所の創立者・池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、世界から多くの「国家勲章」「名誉市民」称号、学術・文化・芸術・教育機関からの顕彰などを贈られている理由について、「世界市民の模範」という観点から分析し、紹介したものです。 また巻末には、受賞した顕彰の一覧を収録している。
オールカラー 328ページ
内容
「目次」
世界からのメッセージ
まえがき
序章 世界市民の理念と淵源
第1章 平和への貢献(1)――国連支援
第2章 平和への貢献(2)――国と国を結ぶ――国家勲章
第3章 民衆の大地に生きる ――「名誉市民」称号
第4章 人間主義の理念と実践 ――学術機関からの顕彰
第5章 「平和の文化」を創る ――文化・芸術機関からの顕彰
第6章 教育革命への道 ――教育機関からの顕彰
巻末資料
国連機関・国連関連団体からの顕彰
国家勲章
「名誉市民」称号
世界各都市・機関等からの顕彰
文化・芸術機関等からの顕彰
平和・学術・教育機関からの顕彰
大学・学術機関からの名誉学術称号
「SGIの日」記念提言の要旨
世界の識者との主な対談集
世界歴訪の国・地域
まえがき
東洋哲学研究所所長 川田洋一
「その方は、自らの人生において『世界市民』の力を示してきました。たゆみなく、国境を越えて、世界中の指導者と対話し、相互理解への扉を開いてこられました。
師匠から仏法の教えを学び、よりよい世界を創出するために、仏法の価値観に基づいて行動してこられました。その実践を通して、世界の『平和』と『正義』のための力となっております」
「本日ここに謹んで、核時代平和財団の1999年度『世界市民賞』を『平和』と『希望』の人、真の世界市民であられる池田大作博士に授与させていただきます」
(核時代平和財団の「世界市民賞」の授賞式におけるデイビッド・クリーガー所長の言葉から 2000年3月16日)
当研究所の創立者である池田SGI(創価学会インタナショナル)会長には、世界の各大学からの名誉学術称号とともに、国連からの顕彰、国家勲章、「名誉市民」称号、学術・文化・芸術・教育機関からの顕彰などが相次いでいます。その数は今や3200を超えるに至っております。
当研究所では、先に『世界が見た池田大作――200を超えた名誉学術称号』を上梓して、各大学からの名誉学術称号を分析し、その顕彰の理由を明示しました。
引き続いて、私たちは、国連をはじめ国家、自治体、学術・芸術・教育機関などからの膨大な顕彰の授賞理由を詳細に分析しました。
池田SGI会長は、何故(なにゆえ)これほど多彩な顕彰を全世界から受けているのか、分析と綜合のもとに浮かび上がってきた共通のコンセプトが「世界市民」でありました。
21世紀の人類が希求する「理想的人間像」――それが「世界市民」であり、世界は、その模範を池田SGI会長の姿に見ているのではないか。これが本書のタイトルの意味するところであります。
「世界市民」については、すでに牧口常三郎・創価学会初代会長の『人生地理学』のなかに明記されております。
牧口会長は、1903年に公刊した『人生地理学』において、人間が「郷土」「国家」「世界」という3つのアイデンティティーを持つ「世界民」であるべきことを指摘し、郷土・国家・世界のすべてを愛し、地球的な連帯と「共生」を展望する多次元的な哲学を明示しております。
牧口会長は、今日いわれる「グローカル」(グローバルかつローカル)「グローナカル」(グローバルかつナショナルかつローカル)などの考え方を、百年前の『人生地理学』のなかで主張していたのであります。
この牧口会長の先見的な「世界市民」の哲学を踏まえ、第2次世界大戦後の世界において「地球民族主義」を提唱したのは、戸田城聖・第2代会長でありました。地球民族主義という言葉には、世界平和の域を超えた、全人類、全国家の共存共栄という理想が込められております。
戸田会長は、力強く訴えました。「全世界が、一つの社会となって、全世界の民衆が、そのまま社会の繁栄を満喫しなければならない」――と。
牧口・戸田両会長のこうした人類共生への悲願を継承し、それを現実の行動に移してきたのが、池田SGI会長であります。1975年1月26日にSGIが結成された際、池田会長は、署名簿の国籍欄に自ら「世界」と綴(つづ)っております。そして、その思いのままに世界54国・地域をかけめぐり、7000人を超える識者と対話を重ね、人類の幸福と世界平和を希求する行動を貫いてきました。
こうした池田会長の信念の行動の証(あかし)として、世界各地から「名誉市民」の称号が、世界各国から「国家勲章」の栄誉が、「人類の議会」たる「国連」からは平和への貢献を称える勲章が、そして、グローバルな「文化・学術・芸術・教育機関」からは〝知性〟と〝友愛〟の連帯を象徴する顕彰が与えられているのであります。
本年、80歳を迎えた池田会長のこれまでの足跡を、各賞の授賞理由に即して「6項目」に立て分けてみました。これが本書の各章として構成されています。
(1)平和への貢献(1)――国連支援
(2)平和への貢献(2)――国と国を結ぶ――国家勲章
(3)民衆の大地に生きる――「名誉市民」称号
(4)人間主義の理念と実践――学術機関からの顕彰
(5)「平和の文化」を創る――文化・芸術機関からの顕彰
(6)教育革命への道――教育機関からの顕彰
紙幅の都合上、掲載できたのは代表的なものに限られましたが、本書が世界の人々の目に映る池田会長の実像を紹介することを通し、さらなる理解の一助になれば幸いです。
最後に、最近の「顕彰」に際しての授賞の言葉を記しておきます。
「英知と善の象徴として、人類のため全人生を捧げ、人間の生命の尊厳のために、また、師匠に応えるために、勇気を持って人々の幸福を目指し、一筋に行動する人物に出会うことは、歴史上、まれです。
歴史上、このような偉人はそのまれな資質ゆえに讃嘆されてきました。池田博士はまさにそのような人物であられます」
「池田博士が世界中で育成されてきた人材のネットワークは、目を見張るものがあります。それは池田博士の師匠としての力、なかんずく指導者としての力を証明する一つの金字塔でもあります。
この類(たぐい)まれなご功績を讃え、オーバン市は『世界市民の師匠』賞を授与させていただけることを光栄に存じます」
(オーストラリア・オーバン市「世界市民の師匠」賞の授賞式におけるラム市長の言葉から 2008年4月18日)
「序章 世界市民の理念と淵源」より
紀元前4世紀、古代ギリシアの哲学者ディオゲネスは、「あなたはどこの国の人か」と尋ねられ、「世界市民 (kosmopolitēs) 」と答えた。これが人類史上はじめて「世界市民」という言葉が使われた瞬間である。ここで言う「世界」とはギリシア語で「コスモス」、すなわち秩序ある宇宙を意味する。したがってディオゲネスによれば、(宇宙の)秩序にのっとり調和のとれた正しい市民生活を送るものが「世界市民」であると考えられていた。
宇宙の理法と自然
ディオゲネスの精神を継承し、独自の哲学を展開したストア派の人々のモットーは「自然にしたがう」ことであった。この「自然」とは、一人ひとりに内在する「人間本性」であり、そして「宇宙万有の本性」を意味している。つまり、ストア派の人々にとって自然にしたがって生きるということは、人間と宇宙を貫く「共通の法」としての「宇宙の理法 (logos) 」にしたがって生きることであった。
この「宇宙の理法」にのっとって生きることが、人間にとっては「理性にしたがって正しく生きる」ことを意味し、自然と調和して生きることが人生の目的とされた。
宇宙の本来の姿は、「理法」によって秩序づけられた調和世界である。その「宇宙の理法」を理性によってとらえ、その「法」に基づいて自己を律する人こそが「世界市民」にほかならない。したがって、その人にとっては、宇宙が「家」であり、「祖国」なのである。
正義の原理
ローマの哲人キケロによれば、人間は生まれながらにして正義を目指しているという。しかも、その「正しさ」は、自然の本性によって決定されている。つまり、ある行為が正しいかどうかは「宇宙の理法」によって定められているというのである。
それでは、「正しさ」とはいかなるものなのか。キケロは、人間が「他者を愛する傾向」を本性として持っていること、これが「正しさ」の基礎であるとする。つまり、一人ひとりの持つ「他者への愛」が正義の原理であり、人間社会はその原理に基づいて成立しなければならない。そして、その構築は「世界市民」にゆだねられるのである。
また、ローマ皇帝であり哲学者でもあったマルクス・アウレリウスは、人間の善は公共性にあり、「宇宙の理法」は社会的であると述べている。「世界市民」が理性によって「宇宙の理法」を見ることは、同時に「他者への愛」によって人間社会に参与することを意味する。したがって「世界市民」の社会的実践も、「宇宙の理法」に規定されている。
平和の創出
このような「世界市民」の思想は、やがて「世界市民主義」としてヨーロッパ精神史のなかで定着していく。その思想を現代的に展開し、新しい理念を付与したのが、ドイツの哲学者カントである。
カントの描く「世界市民」とは、世界をただ傍観するのではなく、その営みに参与する者である。すなわち、自分の幸福や自らの生活圏の事柄だけに関心を寄せるのではなく、自分がどの地域に住んでいたとしても世界の営みに参与すること、それが「世界市民」の生き方であり、そのことを可能にするのは、寛容なる精神と心の広さである。
ところで人格とは、人間を人間たらしめているものであり、決して手段とされてはならないものである。一方で、エゴイズムに起因する戦争は、人間を手段とし、人間の尊厳を最大に脅かすものである。人間の本性に根ざしているエゴイズムに対抗し、永遠の平和を創りだすために、カントは人格という観点から法を3つに分けている。
国内法としての「市民法」、国家を規制する「国際法」、そして人類を一つとする「世界市民法」である。「世界市民」の理念はカントによって、平和創出の原動力としての「法」へと昇華されたのである。
法とヒューマニズム
一方、東洋においても、「宇宙の理法」にのっとった人間像を理想としてきた。古代インドの「梵我一如(ぼんがいちにょ)」、仏教の「大我」「真我」、儒教の「天人合一(てんじんごういつ)」などの思想に見られるように、東洋思想の描く人間像は、人間が宇宙の普遍的な原理に合一して生きるべきこと、つまり「宇宙の理法」にのっとって生きることを教えている。この点において、西洋の「世界市民」の理念とも深く共鳴し合っているのである。
友愛と共生
釈尊や孔子、さらには彼らの多くの弟子たちも、「宇宙の理法」にのっとった生き方を人々に説きつつ諸国を遍歴した。国や民族の違いにこだわらず、ただ「人間」を見つめ、人間同士の平等な友愛を唱えたのである。
以来、2千数百年――近代に至ると、「宇宙的人間」の哲学を背景に、「世界市民」的な自覚に立った国際協調の重要性を主張するアジアの政治家たちが現れてくる。
近代中国の指導者・孫文は、儒教や老荘思想を淵源とする「大同思想」に立ち、帝国主義全盛時代の世界にあって「世界大同」「人類の相互扶助」を訴えた。周恩来の「平和的共存」なども、同様の思想性を有する。
ガンジーもまた、東洋的な宇宙的人間の理念に基づく「世界市民」として、非暴力の思想と運動を展開した。
宇宙の中の人間
ガンジーとともに植民地支配に抵抗し、平和の創造に生涯を捧げた「世界市民」がタゴールである。タゴールが、公共的な社会人として担おうとした「全体」とは「世界」であり、究極的には「宇宙」であった。
その一方でタゴールは、母国はもちろん、あらゆる民族の自立した文化を愛した。「宇宙の中の人間」(「サーダナ」)として、それぞれの地域の文化も重要視していた。究極の道=ダルマ(法)に生きる宇宙的人間は、真正の愛国者にして、かつ他国をも等しく愛する者であるとの、「世界市民」のあり方を示したのである。現実の大地を重んじる理想主義者が、東洋的な「世界市民」であるといえよう。
以上のように、東洋と西洋を貫く「世界市民」の思想的な淵源と系譜は、友愛・平等・教育・人格を重んじる根拠と原理を私たちに提示し、「宇宙の理法」にのっとった生き方こそ、「世界市民」の精神的伝統であることを示している。