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ブラジル哲学アカデミーと共同シンポジウム


◆テーマ:現代文明と哲学

◆主催:ブラジル哲学アカデミー、東洋哲学研究所

◆会場:ブラジル哲学アカデミー(ブラジル・リオデジャネイロ)

◆開催日:2010年12月1、2日

 

●池田SGI会長のメッセージ


右から、ルアネット元文化大臣、モデルノ総裁、川田所長

ブラジル哲学アカデミー」の創立は1989年。「ブラジル人によるブラジル哲学文化に栄誉を与え、普及し、保存する」ことを目指し、各分野の40人の学者・文化人が会して創設された。ラテンアメリカ初の哲学アカデミーであり、ブラジル政府から「公益団体」の認定を受けている。

正会員は60人。在外会員には、レヴィ=ストロース氏、ジャック・デリダ氏など、フランス、アメリカ、スペイン、イタリア、ポルトガル、ギリシャ等の知性が名を連ねている。東洋哲学研究所の創立者・池田SGI会長は、2005年に日本人初の「在外会員」に就任、また2007年にはアカデミー初の「名誉博士号」を贈られている。

 

 アカデミーの本部「オゾリオの家(Casa de Osório)」は18世紀ごろに建てられ、歴史遺産に指定されている。蔵書1万冊の図書館を市民に開放するなど“開かれた哲学の館”でもある。

 

 

 

 

シンポジウムでは、主催者を代表して、ジョアン・ヒカルド・モデルノ総裁、川田所長があいさつした後、池田SGI会長のメッセージが紹介された。 

 

来賓のセルジオ・パウロ・ルアネット元文化大臣は「現代は、人間の本質が見失われている時代であると思います。私はキリスト教の宗教伝統で育てられましたが、東洋の宗教概念も学んでいきたい。今日は仏教の考え方を学び、人権についても新たな目が開かれる機会であると期待しております。また、その学びを社会的に実践していきたいと思います」とあいさつした。

 

シンポジウム終了後、東洋哲学研究所とブラジル哲学アカデミーの学術交流協定を調印した。

 

翌3日には、同アカデミーで、北南米大陸初の開催となる「法華経――平和と共生のメッセージ」展がオープンした。 


シンポジウムでは、以下の発表があった。

 

12月1日

セクション1:宇宙と自然・環境のビジョン

 

●バーバラ・フレイタグ=ルアネット(ブラジリア大学名誉教授)

ルアネット名誉教授

 

「ペーター・スローターダイクの球体三部作」

 

●山本修一(東洋哲学研究所主任研究員)

「生命と地球――環境問題へのビジョン」

   

 

 

セクション2:生命観と人権


●ニタマール・H・デ・オリベイラ・ジュニオル

(ポンティフィシア・カトリック大学〔リオグランデ・ド・スル州〕教授)

「人権の解釈学のために――生命・戦争・平和」

オリベイラ教授

 

 

●川田洋一(東洋哲学研究所所長)

「仏教の生命観と人権思想」

 

 

12月2日

セクション3:現代社会における女性

フィルメ教授の発表

 


 ●テレザ・ペナ・フィルメ(リオデジャネイロ連邦大学元教授)

「女性の連帯で理想社会の構築を」

 

●栗原淑江(東洋哲学研究所主任研究員)

「現代社会における女性――仏教の視点から」


池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長のメッセージ

ブラジル哲学アカデミーと東洋哲学研究所との共催による合同シンポジウムの開催、まことにおめでとうございます。

懐かしいモデルノ総裁はじめ、ご多忙のなか、ご列席をいただきました諸先生方に心より御礼申し上げます。2007年4月に、貴アカデミーより、栄えある第1号の名誉博士の学位を授与していただきましたことは、私の最大の栄誉であります。

このたび、各分野を代表される諸先生方と、私どもの研究員が、「現代文明と哲学」をテーマに多様な視点から討議を行うことに、深い意義を感じております。

今回のシンポジウムでは、「宇宙と自然・環境のビジョン」「生命観と人権」「現代文明における女性」という3つの観点から発表が行われると聞いております。いずれも現代文明の今後を決定づける喫緊の課題であります。

 

現代世界の行き詰まりの根本原因は何か。それは、「哲学の不在」にあると言っても過言ではありません。「哲学のない社会」は「柱のない建物」のようなものです。いかに外面が壮麗であっても、ひとたび地震や嵐にあえば、簡単に崩れてしまいかねない。

大乗仏教の真髄である『法華経』に説かれる譬喩の数々は、現実に苦しむ人間の苦悩をどう救うかに智慧を尽くしています。その一つが、「三車火宅の譬え」(譬喩品第三)です。

――年老いた長者が大きな屋敷に住んでいた。ある日、その屋敷が火事になる。家の中には遊びに夢中で火事に気がつかない、たくさんの子どもたちがいる。

長者は一計を案じた。「お前たちが欲しがっていた羊の車、鹿の車、牛の車が門の外にあるよ、家の外に出なさい」と。子どもたちは喜び、燃える屋敷から走り出た。こうして子どもたちを安全な場所へと導いた長者は、もっと素晴らしい車――「大白牛車」を子どもたちに与える。

ここでは、子どもたちを「一切衆生」に、長者を「仏」に譬えています。子どもたちが火宅で遊んでいるのは、衆生が苦しみの世界にいながら、そのことに気づかないことを意味しています。羊の車、鹿の車、牛の車は「三乗(声聞、縁覚、菩薩)」の教えです。実際に与えた大白牛車はすべての人が成仏できる「一仏乗」の教えです。

この譬喩では、「貪り」(物質的貪欲)、「瞋(いか)り」(暴力・攻撃性)、「癡(おろか)」(根源的なエゴイズム)などの「煩悩の火」に、身も心も焼き尽くされようとしている人々を、“火に包まれた家”(苦しみの現実世界)から安穏・平和の境地へと導きゆく慈悲の行動が具体的に描かれております。

“火に包まれた苦悩の家”の中にありながら、その恐ろしさを自覚せず、快楽の遊びに熱中している子どもたちの姿は、まさに現代人にもあてはまります。

世界に渦巻く紛争、極度の貧富の格差、民族・人種・女性への偏見、差別、人権抑圧、そして、地球環境の破壊、地球温暖化、生物多様性の消失など、現代世界が直面する地球的問題群を乗り越えて、人類が自然生態系と共存する永遠なる平和を築きあげる“精神的主柱”こそ、「生命の尊厳」「人間の尊重」をどこまでも志向する人類愛と智慧の哲学ではないでしょうか。

モデルノ総裁は、かつて述べられました。

「生命の尊厳と人権の対話から始まるならば、一個人でも国家間でも、普遍的な価値は守られていくはずであります。逆説的に言えば、生命の尊厳のないところに、対話はありえないとも言えるのです。そうした状況では、恒久平和も実現しません」と。

また、ロナウド・モウラン理事は私との対談集(『天文学と仏法を語る』第三文明社)のなかで、「人間の生命の貴重さは陳腐化されています」と現代社会を指弾され、「人間のみが『内なる自分』から出発し、世界を変え、人間自身による平和の可能性を見いだすことができる」とのご自身のモットーを紹介してくださいました。

 

貴国が生んだ偉大な教育学者パウロ・フレイレは、教育における対話の重要性を説いています。

「思考する主体はただ一人では思考することができない。ある対象について考える行為において、主体は、他の主体がともに参加することによってはじめて、思考を行うことができる」「『私は考える』ということはもはやなく、『私たちは考える』ということなのであって、その逆ではない」(『伝達か対話か―関係変革の教育学』亜紀書房)。

これらの言葉は、単に教育における対話の重視を示すだけではなく、人間そのものが“対話的存在”であることを明らかにしていると言えます。自己は自己のみで存在するのではなく、他者との関係においてはじめて自己である――こうした人間性の本質を開示するものが対話であります。

このシンポジウムは、まさに、西洋の思想の流れをくむブラジルの思想・哲学と仏教哲学を中心とする東洋思想が相互に学び、協力しあい、人類のために貢献しゆく“東西哲学の対話”の場であります。

このような生命尊厳を掲げる“哲学対話”によって、すべての人間生命に内在する善性を開発し、煩悩等の悪性を打ち破っていく道が開かれていくのであります。それを積み重ね、人類愛、慈悲、非暴力、智慧、平等性、信、勇気、希望の「善の徳目」を個人から他者へ、社会へ、そして人類総体へと広げていく――。生命の尊厳、人権を最大に擁護する“善の連帯”には、いかなる民族の壁、文明の壁、イデオロギーの壁もありえません。

本シンポジウムが、深き哲学性に根ざした宇宙論、人間論、生命論からの“叡智の光”で、人間性が輝く「地球文明」への大いなる指標となることを、心より期待しております。

本日、このシンポジウムに集われた諸先生方のますますのご健勝とご活躍をお祈り申しあげ、メッセージとさせていただきます。

 

 

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