1. HOME
  2. 学術交流
  3. サティヤーグラハー100周年記念 日印共同シンポジウム

サティヤーグラハー100周年記念 日印共同シンポジウム

サティヤーグラハー100周年記念 日印共同シンポジウム


◆テーマ:サティヤーグラハーと原水爆禁止宣言
◆主催:ガンジー研究インド委員会、東洋哲学研究所
◆会場:東洋哲学研究所
◆開催日:2007年4月3日


マハトマ・ガンジーによる「サティヤーグラハー(非暴力不服従運動)」は、南アフリカから始まった。インド系住民への差別を身をもって体験した若き弁護士・ガンジーが、1906年9月11日、ヨハネスブルクの劇場に集った約3000人を前に演説し、南アの人種差別政策に対して「不服従・非暴力」の抵抗運動を開始したのである。

この運動をガンジーは「真理把持(サティヤーグラハー)」と呼び、後のインド独立闘争で更に大規模に展開されることになる。またアメリカの公民権運動をはじめ世界の民衆運動に多大な影響を与え続けている。

運動の開始から100周年を記念する日印共同シンポジウムのテーマは「サティヤーグラハーと原水爆禁止宣言」。これは、今年が創価学会の戸田城聖第2代会長による「原水爆禁止宣言」(1957年)から50周年である意義を込めたものである。


シンポジウムでは、インド国立ガンジー記念館のラダクリシュナン前館長が講演し、「サティヤーグラハ運動は100年の間に多くの人々を教育し、勇気づけ、各人がかかえる困難を克服する力を与えてきた。その過程で、幾百万人もの女性も動員することにも成功したが、これはガンジーが初めてであった。サティヤーグラハ運動も人間革命運動も、ともに『個人の変革』が中心であり、その点で一致する」等と述べた。


続いて、当研究所の代表3人による、以下の研究発表が行われた。

(1) 松岡幹夫研究員「ガンジーと戸田をつなぐもの」

(2) 川田洋一所長「原水爆禁止宣言と精神の力」

(3) 栗原淑江主任研究員「女性たちの闘い――インドと日本」


ラダクリシュナン博士(インド国立ガンジー記念館前館長)の講演要旨


昨日(4月2日)、創価大学の入学式に参加して、私は大変に感銘を受けました。何千人もの学生が、創立者の池田先生の言葉に、熱心に、時に涙を浮かべて耳を傾けていました。

私自身、長らく教育者として教鞭をとってきました。通常、入学式は、単に新しい学年を始める式典です。しかし、創価大学の式典は、先生の信念が最後まで貫かれた儀式でありました。

池田先生が式典の間、学生たちと心温まる交流を続けられたことは、学生たちにとって究極の幸福であったことと思います。

今日、青年とのコミュニケーションは、最大の課題の一つであります。若い世代を信頼し、決して一方通行にならない対話を通して、青年に未来を託さねばなりません。

若者は、私たちの話をうなずいて聞いてはくれます。しかし、それは私たちが年長者であるがゆえの、いわば“配慮”からの行為であり、それでは真のコミュニケーションが成り立っているとは言えません。

教育の現場をはじめ多くの場面で、こうした事態が起こっている現代社会は、“対話への信頼”が失われていると指摘できるでしょう。実は、この点こそ深刻な問題なのです。

私は思います。

学生の皆さんが抱いている、池田先生という偉大な創立者への信頼――これこそ「教育」の要であり、魂であり、人間の変革を促す力であります。

自身の変革への挑戦は、古来、多くの聖人たちが実践してきました。それは、自身の生きる姿勢、世界観の変革であります。

現代においてもインドのマハトマ・ガンジー、アメリカ公民権運動の指導者キング牧師が、この変革を実践し、新たな時代の幕を開けました。

人生をいかに変革するのか、何のために生きるのかと自問し、自分の人生を決めていく。

これが哲学であり、いにしえから多くの哲学者が残してきた遺産であります。

私たちは、多くの場合、利己的に振る舞い、他者を忘れがちです。それを乗り越えるために、仏法は“共に生きる”ことを説き、「師弟」を説いているのです。

青年は、対話を通じて「師弟」を胸に刻みます。

創価学会にあっては、すべての世代にとって、池田先生が師匠であります。とりわけ、青年にとって先生を師とすることは、かけがえのない特権であります。

先生は、富士のごとく偉大な師だからです。先生の智慧の深さは、先生が人生において培ってこられた思想を根本としています。

すなわち「人間革命」であります。「人間革命」の体現者であられる先生が、人々に大きな変革を促しているのです。

「人間革命」を実践するには、「勇気」「確信」「決意」そして「信念」が必要です。さらに、その核心となる「行動」が備わって、一人の偉大なる人間革命は、世界をも変革するのです。

その意味で、ガンジーの非暴力抵抗運動である「サティヤーグラハ(=真理を堅く守り抜くこと)」は、人間革命の哲学と強く響き合います。サティヤーグラハもまた、信念を貫くことだからです。

池田先生は戸田第2代会長から、人間革命の哲学を継承されました。

この偉大なる哲学を、池田先生は、自らが実践されるとともに、多くの人々に伝えています。

信念のために、他者の人生のために、わが身を惜しまぬ自分を築くことを促しておられるのです。


■ 一人の人間革命は世界を変革

これはまた、ガンジーが見いだした人間の変革の視点であり、人生の法則でした。

だれも、明日は分からない。日々、新たなる事態との遭遇です。

その中で、自身が「良く変わる」には、何が原動力となるのでしょうか。

私が思うに、それは、変わろうとする「強い意志」と「勇気」であります。

人間は一人では生きられません。あらゆるものと関係し合って生きています。

それゆえ、私たちは自身の夢だけではなく、人々の願いをも受け止め、目の前の現実と格闘しながら、人々のために生きる人生へと、自分自身を変革していく必要があります。

ガンジーがサティヤーグラハを開始したのは、悪を峻別するためでありました。

現状を変革しようと思えば、それを変えまいとする勢力から、必ず抵抗があります。時には逮捕、投獄もあれば、殺されることもあるかもしれない。これが人類史の厳然たる事実であります。

すなわち、変革を成し遂げようと思えば、必ず抵抗があり、弾圧がある。ゆえに、変革には、いかなる困難にも屈しない「強い意志」の有無が問われるのです。

南アフリカで闘争を開始したガンジーの目の前には、人種差別・人権否定という厳しい現実がありました。

現状に追従することは簡単です。新しい道を指し示すのは、容易ではないからです。しかし、歴史上の偉大な指導者は、必ず現状の打開策を示しています。

ガンジーは、その方策として、女性の力を信頼しました。彼は、有史以来、初めて女性を大きな社会運動の舞台に登場させた人物といってもよいでしょう。

彼にとって国の豊かさとは、豪華な建物や兵器などではなく、生命を慈しみ育む女性こそ大いなる宝でした。

女性を大切にできない国家には、未来はありません。


■ 生命を慈しみ育む女性こそ宝

ガンジーは知っていました。

女性を信じれば、未来が安泰であることを。人々を差別から解放し、すべての人々の平等を実現するには、女性への尊敬が必要であることを。

サティヤーグラハから100周年。

さらに、戸田第2代会長の原水爆禁止宣言から50周年という節目を迎えます。

戸田会長もまた、生命を守るために「人類が原水爆に対して、勇気をもって戦うのだ」という、当時だれも言えなかったことを、ただ一人、発言された方であります。

この宣言こそ、人類にとって最も偉大なる意志決定だったのであります。

創価学会は、この伝統を受け継ぎ、非暴力を実践されています。そして、池田先生は、人類の未来を形作り、世界を非暴力と平和へと導いておられます。

かつて、物理学者のアインシュタインは、ガンジーについて、こう語りました。

「このような人物が、かつてこの地上に存在したことを、未来の人々は信じられないだろう」

ガンジーは、会ったことのない人にとっては信じることが難しいほど、偉大な人物でした。

一方、創価学会は池田先生のリーダーシップによって世界190カ国・地域に広がりました。創価学会の運動もまた、ガンジーについてアインシュタインが語ったように、後世の人々は、容易に信じられないと思います。私は、創価学会の平和運動は、人類史上、希有の平和運動だと思います。

 ガンジーはサティヤーグラハを、人々を教育するために進めました。人々を励まし、勇気づけ、結合するために進めたのであります。

それは、16歳の少女の心をも動かしました。

その少女は、ガンジーの運動に加わることを希望しました。

ガンジーは、こんな幼い少女を、あの激しい抵抗運動に加えることはできないと断りました。

しかし、少女は言いました。

「バープー(父)よ、あなたは悪への闘争に、年齢という壁を作っています。それは、サティヤーグラハではありません」

この言葉を聞いて、ガンジーは反省しました。そして、言いました。

「一緒に戦おう」

この献身的な少女は、ガンジーとともに戦い、投獄され、信念を貫き、出獄後、栄養失調で亡くなりました。

ガンジーは、少女の亡骸を抱いて泣きました。

「なぜ、私を置いていったのか!」

師のために命をかける弟子。弟子のために戦い抜く師。ここに師弟一体の信念の姿を、私は見る思いがします。


■ 池田博士は「生きたガンジー」

ガンジーは、南アフリカで22年、インドで33年、戦いました。そして1948年、78歳で暗殺されました。

ガンジーは、文字通り、サティヤーグラハに生きたのです。人々の願い・苦悩を、わが願い・苦悩として生きたのであります。

ガンジーは言いました。

「あなたが、これまで見た中で一番貧しい人、一番弱い立場の人の顔を思い出しなさい。そして自問しなさい。

『これから自分がやろうとしていることは、あの人のためになるだろうか?』『私の行動によって、あの人は、何か得るだろうか? あの人が自分の人生と運命を好転させる手助けになるだろうか?』と」

ガンジーの哲学は今、地球の隅々にまで広がり、生きた哲学として各地で脈動しています。

ガンジーの哲学を、平和・文化・教育の運動として、現実に展開されているのが池田先生です。

その意味で、池田先生こそ「生きたガンジー」です。

先生もまた、青年を教育し、女性を尊重し、人間を蹂躙する悪と戦っておられます。

先生が初の平和旅(1960年10月)でハワイに赴いたとき、先生の使命感は、だれにも理解されていませんでした。

「21世紀を幸福の世紀に!」。先生の行動は、この一点に貫かれているといえましょう。

私は、ガンジーに直接、会ったことはありません。しかし、私には、ガンジーの精神を教えてくださった二人の師匠がいます。

一人は、ガンジーの高弟・ラマチャンドラン博士です。

もう一人は、池田先生です。これは、私の誇りです。

私は、こう思います。

池田先生は、ガンジーが成し遂げられなかった事業を引き継ぎ、実践している、と。

私は、そう確信したとき、池田先生の研究を開始したのです。

私たちには共通の師がいます。共通の哲学を有するものと信じます。

その誉れを胸に、人類の未来のために、ともどもに戦ってまいりましょう!

(聖教新聞2007年4月12日掲載より)

注目記事

Share
Tweet
LINE